「この世界の片隅に」を見て


「この世界の片隅に」はこうの史代さんの漫画を片渕須直監督がアニメ化した映画だ。
私は5年ほど前に前編後編に再編された単行本を購入し、その時初めてこうの史代さんの漫画を読んだのだが、ストーリー進行に沿って変化する画法(口紅で書いたり、利き手ではない方の手で書いたり)に驚き、戦前・戦中・戦後の時代を殊更に暗く描写することをせずユーモアのある日常生活を淡々と語る内容にも驚きと新鮮さと[当時の人も自分たちと同じような生活がある]という事実に親密さを感じたのだ。

そして映画化については上記したこうの史代さんのストーリー進行に沿って変化する画法をアニメーションでどう表現・再現するのか、そんなことが出来うるのか?と期待と不安が入り混じっていたが、公開された本作を見ると何もかもが杞憂だったというくらい素晴らしいアニメーションに仕上がっていた。

この映画の監督片渕須直さんについては名前を全然気にしていなくて、公開直前に色々上がったインタビュー記事を読んで「あ、アリーテ姫とかブラックラグーンも同じ監督だったのか!」と言ったくらいの不勉強さだったがそのいずれも面白かったし刺さる部分がある作品だった。

その片淵監督の過去作品を見るとどれにも共通点がある、それは、平凡だった主人公が極端な状況に追い込まれながらも自分を見出して生き抜いていく姿を描いている。という所じゃないだろうか。
「アリーテ姫」もざっくり言えばやりたいことは有るが状況に流されているだけだった姫が自立する話であり、「ブラックラグーン」の主人公ロックは会社(社会)から切り捨てられた先に裏稼業の中で自分の生きる場所を見つけ出す話である。この様な主人公像に「マイマイ新子と千年の魔法」にあった過去と現在、未来は[点]ではなく、[線]としてつながっているんだというテーマが合わさった片淵監督の集大成的な映画になったのが「この世界の片隅に」だと言えよう。

今作のあらすじも平たく言えば主人公すずさんは言われるがまま嫁ぎ時代は戦争に突入、ある事をきっかけに嫁ぎ先からも逃げようかという所で踏み止まり、遂には自分の言葉と居場所を持つようになる話といえる。この映画はそこからさらに一歩踏み込み、昔に戦争がありました。という[点]になってしまう所を、物語の最後にすずさんが未来へと生活を、家族を繋いでいく事を選択し私達の今生きている現在へ繋がっている[線]にしてくれるのである。(エンドロールをお見逃しなく)そのすずさん達北条家のみんなの姿はとても頼もしくて優しくてボロボロ泣いてしまった。
その過去と現在を見ている側に自然に繋がっていると思わせる為に積み上げられたリアリティある緻密な生活描写や、徹底的にリサーチを行なって描き起こされた当時の広島の景色も素晴らしいの一言だ。(劇場売のパンフレットに広島に現存している建物と背景画の比較が掲載されているがその検証の徹底ぶりに脱帽することしかり)
この日常を描く事に徹底してこだわる姿は高畑勲監督の作風や「かぐや姫の物語」の制作ドキュメンタリーを思い出した。高畑監督の様に日常描写を嘘なく描ける作家の後継がまだいるのだという嬉しさも味わえるのでアニメファンは必見と言えるのではないだろうか。


劇中ですずさんが「ぼーっとして生きていられりゃ良かったのに」というような言葉をいう。
平和ボケという言葉は悪い意味で使われることが多いように思われるが、平和でぼけっとしていらるような誰しも心に余裕のある世界であるならばそんな良いこと無いじゃないかなと思う今日このごろである。



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